ご挨拶
はじめまして、穏やかさが自慢の「はじまり」です。
私はTwitterのプロフィールに「セクハラ、自己嫌悪、カミングアウトの大失敗、両親との衝突を乗り越えた経験から発信していきたい~」という風に書いています。そこで今回は自分の人生経歴の後に何を学んだのか、失敗人生のメリットについてお話ししようと思います。
現在の自分に至るまでどう向き合ってきたのか、解決できなくてもこういう視点もあるということを伝えていきます!
20歳の自分の考えをこの先の自分のために残しておこうと思います(笑)
私の人生経歴
- 中1 先輩からのセクハラ
- 中2 自己嫌悪の爆発
- 〃 カミングアウトの大失敗(友人編)
- 〃 カミングアウトの大失敗(母親編)
- 〃 混乱期
- 中3 諦めと悟りの時代
- 高1 転換期
- 高2 友人全員が怖くなる
- 高3 安定の兆し
ざっと書くとこんな感じです。もちろん私なんぞより大変な経験をされている方はたくさんいますし、今はすべて私の糧になっているのでさらっと読んでください。(^^
(ただの自分語りになりますので飛ばしてもらっても大丈夫です!)
先輩からのセクハラ
セクハラが起きたのは中1の終わり頃、相手は一つ上の先輩で生徒会長になったばかりの男子生徒でした。きっかけは掃除場所が同じだったから。
当時は口に出すのが恥ずかしくて言えずにいましたが、月に一回の学校調査アンケートに先輩の嫌味を書いて呼び出され、その時に告白しました。今思い返すと昔の自分は尖ってるな~と思います。(笑)
その後、先輩は生徒会長を続けていくのですがセクハラについては先生方がきちんと対処してくれました。
自己嫌悪の爆発
中学二年生になり季節は夏でした。そう、夏といえばプール!水泳の授業のはじまりです。授業終わりに友人の「はじまりちゃんって意外と胸あるよね。」という言葉がきっかけでした。
もともと自分から見て胸はあまり好きではなかったのですが、その言葉をきっかけに人からも見られていることが一気に私のキャパシティーを超えたのです。友人に悪気はないですし年頃の女の子らしい会話です。
カミングアウトの大失敗(友人編)
(このころは自己嫌悪のピークです。あまりにも自分の体を受け入れられず、よくないことですが胸を切りつけたりもしました。成長する体がとにかく恐ろしかったです。)
友人は恋多き人で悩みも多い子でした。家が近くて登下校のときはよく悩みを聞いていました。
その日も友人の悩みを聞きながら帰り、いざ別れるとき「私も話してみよう」と思ったのです。友人は号泣する私を抱きしめ「自傷は絶対しちゃだめな事だから」とやめるよう約束をしてくれました。その約束のおかげで次第にやめることができました。
夕暮れの中のその出来事はまるでドラマのワンシーンみたいです。(^^
そして、私の自傷を止めてくれたはずの友人が自傷をはじめたのは約束から1ヶ月たったころです。自傷という選択肢を与えてしまいました。
カミングアウトの大失敗(母親編)
中学生になってから母とは「女性用の下着を着なさい!」「いやだ!」という言い争いをよくしていました(笑)
友人との約束をしてから少し…ナベシャツ(胸をつぶす用のシャツ)が欲しいという相談とともに自分のことをカミングアウトしました。結果は「そんなものは必要ない。」その日のカミングアウトは母の「頭おかしいんじゃない?」という言葉で終わってしまいました。
私も母も互いを理解できず怒っていましたし自分の中から黒いマグマが溢れ出るような感覚でした。
その日私は約束を破りました。
混乱期
なぜ約束をしてくれた友人が自傷をするのか、そして友人は私と違い傷を人に見せる人でした。また誰かに自傷が広がるんじゃないかと不安でもあり弱っていく友人にやんわりと制止の言葉をかけるのがせいいっぱいでした。
諦めと悟りの時代
修学旅行の飛行機の中だったか、前の座席に座っていた友人がやはり傷を見せていました。こんなときでもするのかと私は初めて友人を強く叱りました。「大丈夫大丈夫」と、その子の自傷は高校卒業まで続きます。自分に対する怒りも人に対する怒りも意味がないのだと諦めました。
中学時代の私は「自分のことを私なんて絶対言わねぇ!」と一人称についても悩んでいました。高校受験を控えたころ面接練習で自分の口から「私」が出たときこの先どんなに嫌でも自分にはどうにもできないのだと将来を悟りました。そんなことないんですけどね。
転換期
高校生になると同時に始めたことが3つ。
- 自分のことは私と呼ぶ
- 悩み相談や愚痴は言わない
- 皆を好きになるです
私の高校生活はこの3つを守ることに全力を注ぎました。
友達全員が怖くなる
高校2年生になったときには「皆を好きになる」という目標を達成していました。しかしこの目標はつらい時に頼ってしまうような「特別な人を作らない」という意思の下あったので仲良くなるのが怖くて休み時間は別の教室に逃げたりしてました。
安定の兆し
高3でようやく安定というか穏やかさが定着してきます!中学時代は破壊神と呼ばれてましたが高校では菩薩や女神とかなりの昇格をしました。(笑)
以上が過去の経歴になります!お疲れさまです!
過去の出来事の受け入れ方

当時はセクハラをしたり下ネタをいう人、傷を見せて回る友人、理解してくれない母、普通に生きている知らない人たち全員に怒っていました。もちろん普通に生活できない自分自身にも。
じゃあ、どうして怒らなくなったのか。
下ネタをいう人はいますし、両親の理解は今もありませんし、私もみんなと同じようには生活できないままです。問題解決はできなくても向き合い方を変えれば生きていけるよというお話です。
私はだいぶひねくれた解釈をしていますのでマネはしないように…
この4つが自分の過去を糧にするためにやったことです。一見ネガティブな言葉ばかりですが私にはこの考え方があっていました。大事なのは自分に合う物事の見方を見つけることです!
自分が悲しいつらいと感じた出来事を思い返してみると極論「私が強ければ防げたこと」ばかりです。友人の言葉をフラットに受け止められれば、自己嫌悪をコントロールできれば母にストレスをかけず友人にもカミングアウトしなくてすんだのではと。
すべて「たられば話」ですが自分には何ができたのか考えるのは視野を広げるという点で重要です。このとき自己否定に陥らないようにだけ気をつけましょう。
ネガティブな私に何ができていたかを考えたとき周りに迷惑をかけることしかできませんでした。
だったらネガティブを表に出すのはもうやめる!自分のために周りの人を変えるのは難しいから自分が変わる!人を嫌いになりそうなとき「どの口がいっているんだ。」と自分を外から見れるようになる!自分は幸せになれないと思ったなら人の幸せをみて笑顔になれるようになる!と
私は初めての悩み相談とカミングアウトが大失敗に終わったからこそ、この極論的な考え方と意地で立ち上がることができました(笑)
失敗人生のメリット

失敗人生のメリットってなんだろう…
それは視野が広がることだと思っています。乗り越えた後は強靭なハートも手に入ります。
そのかわり失敗人生は非行に走ったり、精神疾患を患ったりする可能性も大いにあります。幸せな人生に越したことはない!
私は心の折れ方が毎回きれいで考え方が変でした。つまり運がよかったんですね(笑)
母にカミングアウトをして「頭おかしいんじゃない?」と言われた日、あの日は人生で一番さみしかった日です。何もわからないくせにと怒り狂いましたが1年後母の言葉をようやく受け入れられました。
私が普通に生きられる人を理解できなかったことと、母が普通に生きられない私を理解できないのは同じだと気付けたからです。
文字にすると簡単ですが見つけるまで本当に時間がかかりました…
勝手に被害者だと思っていた私自身も加害者なんだと実感してからその言葉が母の全てじゃないとわかりました。この頃から心の余裕が増えたように思います。
母の言葉は穏やかな私になるために必要不可欠です。今ではあの時否定してくれてよかったと思っています。
失敗人生からの気づきはとても強いです。
おわりに
自分を変えるのは大変なことです。私も新しい見方に気づくのに1年、定着させるのに3年かかりました。
伝えたいのは本質的な問題が解決できなくても見方ひとつで穏やかに生きられるよということでした。
ただの青二才の意見です。残りの人生豊かな人になれるようにがんばります。
ありがとうございました!
コメント
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