はじめまして、LGBTQ当事者の「はじまり」です。
前回、選択肢が増えることについての考察という記事を書いたのですが、半年ほど前から当事者として生きる上で世の中に感謝することが増えました。
その記事はこちら選択肢が増えることについての考察
考察の記事を書こうと思ったのも実はこの気持ちが関係しています。
今回はそれについてお話ししていこうと思います。
それではどうぞ、
そもそもLGBTQってどうやって広まっていったんだっけ?
あれがきっかけでしょ!
そう断言できる人は少ないと思います。
私個人のきっかけは、はるな愛さんをはじめオネエタレントさんの台頭でした。
人によっては金八先生に登場する性同一性障害の生徒だったり、もっと昔にも何かアクションがあったのかもしれませんね。
いわゆるオネエブームが起きたのは2007年頃。
私は当時7才。
松浦亜弥さんのモノマネをしていたはるな愛さんをなんとなーく見ていました。
後に自分がLGBTQ当事者になるとは
そして松浦亜弥さん含めハロプロにハマるとは
人生何が起きるかわからないものですね。
それはさておき、
最近になってはるな愛さんのことをよく思い出すようになったわけですが、それは世の中の変化を実感するようになってからです。
オネエブームが爆発した当時
はるな愛さんの他にもIKKOさん、クリス松村さん、楽しんごさん、KABA.ちゃんさんなど至る所で見かけました。
マツコ・デラックスさんの存在感たるや。
皆さんそれぞれが個性的で、少しの言動で周りの人の記憶に強く残りました。
それはなぜかというと、男女両方の特徴を持つことをここまで大っぴらにする人は少なかったから。
言わば目新しい人達だったからでしょう。
本当に色んなバラエティー番組に登場されていて私も笑って見ていたと思います。
「みんなを笑わせてる人」
そう認識していた時、ある番組が私に大きな衝撃を与えました。
それは、はるな愛さん、楽しんごさんのドキュメンタリー番組です。
自身のいじめ経験や壮絶な過去のお話をされていたのがずっと胸に残っていました。
悲劇とは人を強く惹きつけます。
その壮絶な体験をテレビの中の「みんなを笑わせてる人」がしている。
そのことが当時の私には衝撃的でした。
そして時がたち…
現在の私はLGBTQ当事者です。
一当事者として過去を振り返るといかに今が恵まれているかを知ったのです。
当時の私にとってのオネエタレントさんは、男性なのに女性みたいにしているキャラクター的存在でした。
断片的な記憶ではありますがはるな愛さんは
ガサガサした女声を笑われたり
本名の男性名でいじられたり
バラエティーらしく面白おかしく扱われていたように思います。
(補足:本名でのいじりはご自身が嬉しいことだとお話しされています。自身の特徴が笑いに昇華されることを望んでいたようです。)
オネエタレントさんを少し調べていると、
はるな愛さんは芸能界デビューをする前に性別適合手術を終えていたことを知りました。
この事実を知った時、記憶の中のはるな愛さんはもう女性だったんだなと思いました。
KABA.ちゃんさんも現在は女性として生きています。
テレビの中ではオネエ口調であったり同性が好きなそぶりというのは悪気なく笑いの一部になっていました。
出演者の方は、やはり笑いとして昇華されることを望んでいた方が多いです。
しかし当事者にもいろいろな人がいます
当時のLGBTQ当事者の方はどんな気持ちでテレビを見て、何を思っていたのだろう…
複雑だったかな、
嬉しかったかな、
そう思わずにはいられなくなりました。
今ではホモ、オカマ、そっち系という言葉を使うのは差別用語とされています。
自分も笑って見ていたからこそ、その時代から今の世の中の空気感というのは不思議なものを感じます。
何が悪いというわけではないんですけどね。
今の時代、YouTubeでも同性カップルや当事者の方が多く活動されています。
コメント欄には「素敵ですね」とその人らしさを肯定する言葉をよく見かけます。どこか遠くの存在だったのものが身近な存在になりつつある証拠だと思います。
自分は恵まれた時代にいる。
最近になってそう思えるようになりました。
当事者になってからは自分のことで精一杯です。
誰しも今の世の中がどうやって出来たのか、本当はどうなっているのかなんて考えもしなかったと思います。
私にもようやく自分の外に目を向ける余裕が出来たのだと思います。
だからこそ制服選択や同性婚問題の進歩を目にしたとき、私は手放しに喜ぶことはできませんでした。
LGBTQというのは何も最近になって生まれた存在ではないはずです。
男尊女卑の時代も戦時中も、そういう存在はあったはず。激動の時代の中で自分に向き合う余裕もなく、声のあげ方すらわからなかった時代がある。
今の幸せはある種の犠牲のもとにあるんだと感じています。
LGBTQという概念がない時代から、声をあげることが許されるまでにどれだけの人が闘ってきたのだろう。
社会と闘う前には自分をさらけ出す葛藤があったと容易に想像できます。
声をあげることが今とは比べ物にならないほど否定的で難しかった時代です。
全ての人々に感謝というよりも
心からの敬意を表します。
世の中がいい方向に進むとき、
今の私には喜びよりも過去の人々に対する後ろめたさのようなものが生まれます。
これは私の未熟さがそう感じさせるのかもしれません。
しかし今の環境は多くの人の存在と努力の上にあるのは確か。
私の胸にずっと残っていたはるな愛さん達の壮絶なお話。過去には当たり前に傷つけられてきた人がいたこと、願いかなわず死んでいった人もいること。
過去の人々の存在も自分のことと昇華して成長していかねばなと改めて気が引き締まりました。
いろいろ書いたはいいものの私はまだまだ未熟な若造です。
しかし今の自分が感傷的になれるのは、もちろん自分のセクシュアリティのおかげ。
世の中に対するこの感謝と敬意を忘れず向き合える人、幸せに気づける人になりたいと思いました。
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