小説「希望が死んだ夜に」から考える子どもの貧困問題

ひとりごと

はじめまして、「はじまり」です。

私は普段ミステリー小説を読むのですが今回は天祢涼さん著「希望が死んだ夜に」から子どもの貧困問題について考えてみようと思います。

書評とは異なりますが物語の内容にも少し触れながら、子どもの貧困問題に焦点を当ててお話ししたいと思います。

ネタバレはありませんので安心して読んでいただければと思います。

 物語の概要

「わかんないよ。あんたたちにはわかんない。なにがわかんないのかも、わかんない」

物語の主人公冬野ネガの言葉です。

♦ストーリー

14歳女子中学生の冬野ネガは同級生の春日井のぞみを殺害した容疑で逮捕。

犯行を認めているにもかかわらず犯行の動機は一切語らない。二人の刑事が捜査を始めると意外な事実、社会が抱える闇が浮かび上がって…(あらすじ参考)

主な登場人物

冬野ネガ 同級生を殺害したと自供する女の子。貧しい母子家庭で育つ

春日井のぞみ 事件の被害者。吹奏楽部に所属する美少女優等生

真壁巧 神奈川県警刑事。良くも悪くも固い印象で自身も貧しい家庭で育つ

仲田蛍 生活安全課少年係。おおらかで少年犯罪に長けているが変わり者

この本は数あるミステリージャンルの中から社会派青春ミステリーに属し、本作で扱われているのが子どもの貧困問題でした。

子どもの貧困問題

子どもの貧困ってどうゆうものだろう。

食べるものに困る?

お風呂に入れない?

電気やガスが止まる?

進学できない?

きっと痩せていて体が弱いんだろう漠然とそんなイメージがありました。

小説を読んでいてハッとさせられたのは

暗い中で目を開けているぞ。目が悪くなったらどうするんだ?

眼鏡を買うことになったら我が家の家計に深刻なダメージを与えてしまう。しっかり目を休めて、明日こそ宿題をしよう。勉強についていけるように。

このネガちゃんの言葉からでした。

学校や社会でも眼鏡をかけている人は珍しくないですし、視力が落ちれば眼鏡やコンタクトをつける。

同じように、私の中には視力が落ちれば眼鏡をつければいいと当たり前に選択肢がありました。

しかし貧困家庭ではその選択肢すらないのだと気が付きました。

実際、視力が落ちても家計に負担をかけまいと隠し続け症状が深刻化する事例もあります。

家計が厳しくて食べるものに困ってもそれを理由に体調を崩すわけにはいかない。

栄養が不足することと体調を崩すことは=(イコール)だと思っていましたが貧困問題とはそれを当たり前にすることができないのだ。

なんて理不尽なんだろう。

貧困家庭の子供たちは痩せていて体が弱いのだという私のイメージは間違いではないのでしょうが、この問題の核は何かあった時その後の選択肢が限られてしまうことだと思いました。

漠然とあった貧困家庭の子ども達へのイメージが大きく変わった瞬間です。

 

次に考えたのは、どうにもできない事があるということです。

ネガちゃんは物語の中で、夏休みから自分を大学生と偽って深夜に居酒屋のアルバイトを始めます。

夏休みが明けると学校ではバイトの疲れから以前に増して寝てばかりいました。

周囲の人からすれば完全な問題児。

学校にいるクラスメイトや先生は学校にいるネガちゃんでしかその人柄を知ることができません。

クラスメイトからは遅刻が多かった、勉強ができなかった、汚かったと散々でネガちゃんの頑張りを知る人は当然いません。

でも、こういうことって珍しくないよなと思うんです。

私が高校生の時バイトをしている子はもちろんいました。

理由は進学のためだったり家計のためだったり様々です。

物語と同じように学校で寝てばかりいる、なんか不機嫌な子というのは総じて良い印象は持たれていなかったように思います。

不真面目な子…?

いくらバイトや家の中で必死に頑張っていても、私たちは特定の場所にいるその子でしか判断することはできないのです。

だからといって学校での態度を全て肯定するわけではありませんが、人には人の事情がある。

そのときの姿だけで決めつけていいものじゃないと学びました。

私たちが他人に抱くいい人悪い人という印象はとても曖昧なものです。

同じような問題で、ネガちゃんは小学生の時貧しいことを理由に嫌がらせを受けます。

みんなと違ってきれいな服を着ていなかったから、給食をお代わりしまくっていたから。

成長すれば母子家庭や父子家庭は珍しくない事やいじめる理由にならない事を理解していきますがそれを理解できない時期や人は必ず存在します。

ネガちゃんは家計のため進学のために頑張りますがバイト代だけではどうすることもできませんし

小学生のネガちゃんがきれいな服をきて満足な食事をとることも自分の頑張りで変えられることではありません。

当人の努力ではどうにもできない時、

きっと足りなかったのは周りの人の想像力ではないかと思います。

貧困と生活保護

子どもの貧困とはずれますが小説の中に出てくるので少し触れてみようと思います。

世の中には就学援助のように貧困の人に対する制度が存在します。ネガちゃんのお母さんも生活保護を受けようとしますが何度も断られてしまいました。

小説では水際作戦についても書かれています。

水際作戦とは相談者に対して窓口のケースワーカーが理由をつけて門前払いしてしまうというものです。

実際こういったケースは少数で、基準さえ満たしていれば生活保護は受けられます。

ネガちゃんのお母さんは窓口でのアドバイスを冷静に受け取れなかったり、信用できず話したほうがいいことも話さずにいたり

制度に対する悪いイメージとお母さんの両方に問題があったように思えました。

そして生活保護の存在と同時に生活保護バッシングも存在します。

 

「生活保護は甘えだ」というものですね。

 

生活保護と聞いてポジティブな意味に受け取れる人はなかなかいないのではと思います。物語の中でも自身のプライドから生活保護に踏み切れない人も出てきました。

近年はコロナの影響で職を失った方、生活が困難になった学生さんも多いと思います。

自分が経済的に追い詰められたとき、すぐに生活保護など制度を利用しようと思えるのでしょうか。

私はできないなと思います。

役場や事務所に行くことすらハードルが高く感じますし、それより仕事探しを頑張ろうと考えるだろうからです。

私はすべてが手遅れになってやっと利用しようと思えるんでしょう。

生活保護が実際にどんなものなのか正しい知識を持つ人は少ないと思います。

怖いのは正しい知識がなくてもイメージさえあれば制度を否定できること、イメージだけでは受給できないのに知ろうとすることすら抵抗をもってしまうことです。

何事も自分の先入観を受け入れて正しい知識をつけることが大事ということですね。

おわりに

先生とネガちゃんが話すシーンでアフリカの子ども達の話題が出てきます。

「世界中の人から見れば君はとても幸せなんだよ。でもアフリカの子どもたちのようになりそうだったら、いつでも先生に相談しなさい」

「そうか。あたしはまだ本当に困ってはいなかったのか。アフリカの子ども達に較べたら、全然不幸じゃない。むしろ幸せだったんだ。」

ネガちゃんはこの話をしているとき

胸が震え、理由は分からないけど不意に涙が滲んだそうです。

先生の言葉はこの時のネガちゃんにとって救いになったのでしょうか。

幸せを感じる事は大事ですが自然とそれ以上の幸せを諦める事に繋がってしまったのならそれはもう不幸と同義ではないかとも思うのです。

この物語を読んで思ったのは知識と想像力をつけることの重要性です。

貧困問題に限らず物事を多角的に捉えることがいかに自分や人を救うきっかけになるのかを考えさせられました。

本作「希望が死んだ夜に」は貧困問題についても向き合えますし本筋のミステリーも面白かったです。

グロテスクな描写もありますので大丈夫な方は読んでみてはと思います。

長くなりましたがお付き合いいただきありがとうございました。

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