はじまり日記 呑気な私とはじめての心療内科

ひとりごと

はじめまして、LGBTQ当事者の「はじまり」です。

Twitterでも触れましたが、少し前に人生初の心療内科に行ってまいりました。

今回はそこに至る経緯、行ってみた感想などを残しておこうと思います。

(そうは言っても私の精神状態は良好で予想通り何事もなく帰りました。)

個人的には一連の出来事を楽しんでいますので気軽に読んでいただければなと思います。

それではどうぞ、

すべてのはじまり

この物語は私の「手術を受けようと思う。」という両親へのカミングアウトから始まります。

が、時はさらに2週間ほど巻き戻り、その日の私は福岡県のホテルにいました。

何故かというと勝手に治療の準備を進めるためです。実際に病院へ行き、話を聞き、血液検査とエコー検査を受け見積もりまで出してもらいました。

手術日のみを空欄で残し、私は自分の住む四国へ戻ります。

中学2年生の時に体の嫌悪感についてはカミングアウトしていましたので、「この際周りから固めていこう」とそういう魂胆でした。

長らく両親には手術を終えてからの事後報告で済ますつもりでしたが

私も成人し、さすがに親不孝が過ぎるかなと考え直したのです。

早速カミングアウト

病院でいただいた見積書と術式や諸注意の書かれた書類を手に「手術を受けようと思う。」と打ち明けました。

答えはもちろんNOです。当然そうなるでしょう。

五体満足なんだから傷をつけるのは反対である事、将来の結婚や妊娠を考えての心配、単純にそんなことをされると悲しいということ。

私も両親の意見が間違っているとは思いませんので「うんうん、」と話を聞いていました。

しかしながら私も手術の意思を告げることはもちろん、ネガティブな言葉を口にするのが実に6年ぶりでしたので

頭も心も落ち着いているのに1時間半涙が止まらないという現象に陥りました。

口にしたのは「悔しい」という言葉だったのですが不思議と「あぁ、悔しかったんだな」と実感してしまったような気がします。

その後の両親の結論は「それははじまりの心や感覚の問題だからまずは心療内科に行ってほしい。手術は反対。」

「話を聞いてもらえば治るから」とそういうことでした。

しかし、私の精神状態は凹むことを知らないむしろ超安定という感じです。

「心療内科は違うんだけどな~」と呑気に考えつつ

私が言っても仕方ないよなと、後日母と心療内科に行くことが決まりました。

来たぞ心療内科!

私が行ったのは心療内科と精神科が併設したクリニックでした。

「すーーーーーーーごい綺麗。」

お気楽にもそんなことを思っていました。

外観はきれいな一軒家で、大きくはないものの木の温かみを感じるそんな造りでした。

天井を見ると梁が見えるのが個人的に好きなポイントです。

クリニックに入ると最初にマークシートに答えます。

「眠れない、自分に存在価値を見出せない、動機や吐き気を感じる」という質問に、はい・いいえの二択で答えていきます。

案の定私は寝つきもよく、食欲もあり、ここ数年体調も崩していなかったので

何しに来たんだ…

と思われるような殆どが「いいえ」で埋め尽くされたマークシートを提出しました。

その後はマークシートをもとに先生と話をしていきます。

私は自分の気持ちのこと、手術の意思があるが両親の勧めで心療内科を受診したことを話しました。

先生方も「胸は女性の象徴だからあったほうがいい」「サラシではだめなのか」と両親の意見に賛成でした。

私は先生の仰る改善策に対して「うーん、気持ち悪いので…」としか答えられず

結局「何とも言えないですよね~」と談笑しました。

自分のセクシュアリティを証明する手段がないことは私自身がよくわかっていましたので今更傷ついたりはしませんが

結果的に先生方の提案にわがままで答えるような形しかできず、なんだかな~といった感じです。

(初対面の方と話すのは好きなのでそれ自体は楽しかったです。)

先生方はお話の最後に「私たちは常識で判断してしまうから、」と別のカウンセリングを教えてくださいました。

私はこの先生方の言葉がいい意味で身に沁みました。

人によっては「私は常識外の人間だって言いたいのかー!」と怒りだしそうですが、私は自分と向き合ううえで世の中の常識を理解しておくことは大事だと考えています。

(客観的に見て)常識から外れている自分を受け入れなければ、冷静に自分と向き合うことは難しいと思うからです。

こうして私ははじめての心療内科を後にしました。

帰りに野菜を安く買えたのでハッピーエンドです。

両親=いい人

最後に、このままいくと「私のことを理解してくれない両親」として話が終わってしまいそうなので私の両親に対する考えを少し。

結論から言うと「いい人」だと認識しています。

理由は以下の3つです。

  • 改善策を考え最善を探し出そうとしてくれる
  • 客観的にも判断してくれる
  • 会話ができる

まず前提として、私は私を理解できない人を悪だと思いません。

それを踏まえて…

両親は「はじまりの気持ちは心療内科に行って話を聞いてもらえば治る」と両親なりの常識で最善策を探し出してくれていること。

それが合っているかは別として私の気持ちが楽になることを期待して行動してくれること。

頭ごなしに拒絶するのではなく、反対はしても冷静に会話ができること。

私にとっての両親がいい人だからこそ私も二人の反対意見を純粋に受け入れられます。

と同時に、心療内科に向かう車内で母が「楽になるといいね」と言ってくれたのがものすごく寂しかったのを覚えています。

母は強く芯のある人で、父は穏やかで冷静な人です。

私は人として二人のことが好きです。

おわりに

一連の出来事を経て、自分自身のまだ向き合っていない部分を見つけ、心療内科がめちゃくちゃ綺麗である事を知り、新しい体験ができ…

総じて楽しかったと思える期間でした。

まだ何も終わっていませんが、今後も色んな事と向き合っていこうと思います。

もしここまで読んでくださっている方がいましたら、お付き合いいただきありがとうございました。

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