幸せは自分を疑うこと。自問自答のコツと三つの気づき。

ひとりごと

はじめまして、LGBTQ当事者の「はじまり」です。

私はしばらくの間 自問自答の期間を設けていました。

自問自答とは自らに問いかけ、自ら答えをいうこと。反芻すること。

自分を見つめるためだったり、

日常生活を円滑に進めるためだったり、

または不幸の連続で自暴自棄になってしまったためだったり人によって様々です。

自問自答には意識している場合と無意識との二種類がありますが、今回は意識して起こした自問自答について。

この期間の気づきや自問自答で根詰めない方法などをお話ししていこうと思います。

  

まず始めに自問自答のコツについて。

「自問自答にコツなんかあるのか」というところですが個人的にはあります。そして重要な事です。

それは

いかに自分を甘やかすかです。

自問自答は多かれ少なかれ自分の悪い面と対峙します。自分を成長させるためといっても自己嫌悪に陥ってしまえば本末転倒。

なので私は自問自答の期間は好きな事だけをして過ごすようにしています。

ご飯の代わりにお菓子を食べてもいいですし一日中横になって過ごしてもいいです。

ずっと考えるのではなく大半はいい加減に過ごしてたまに考えるのが大事。

中には考えないようにしても頭から離れない人もいるかと思いますが、そういった場合は自問自答というよりも思い悩んでいる状態ではないかと思います。

どうしても頭から離れないのは悲しかったり苦しかったり感情的な部分が強いから。

自問自答はいかに自分と冷静に向き合えるかで大きく変わってきます。

感情的なのは悪いことではないのでそんな時こそ何が悲しいのかどうしてそう思うのか、考えが尽きるまで明確にしていきましょう。

そうすれば向き合い方や問題の根本のヒントが見つけやすくなると思います。

感情的な時はその感情を大切に。

自問自答は心身ともに余裕があるときに

悩むのでなく考える

これが一番大事です。

少しでも感情的になっているときはとにかく自分を甘やかしてリラックスしましょう。

  

 

次は私の自問自答と気づきについてです。

私はLGBTQ当事者でQ(クエスチョニング)です。

考えていたのは主に手術に関すること。(重い内容はありませんのでご安心を)

長らく乳房切除術を受けたいと考えていて今年の二月に病院で説明を受け、見積もりを出すところまで進めていました。

その少し後に両親へ手術の意思があると告げました。

このとき両親の意見も踏まえて私の中にはいくつかの揺らぎが生じます。

それは早すぎること、正当性がないこと、両親のことの三つです。

これがなかなか難しくてぐるぐると自問自答していました。

では何に気が付いたのか見ていきましょう。

まず【早すぎるのでは問題について】

どんな人も新しい挑戦をするときは自分の年齢を少し気にすると思います。いい意味でも悪い意味でも。

若いからこそできること、

年齢を重ねたからためらうこと、

またその逆も。

私は現在20歳で、手術は年齢的に早いのではとずっと気にしていました。若いからこそのためらいですね。

両親の意見もあと10年待ってみなさいというものでした。

さらに私のセクシュアリティはQ(クエスチョニング)という不確かなもの。

悩んだ期間は約7年。

同じように手術を受けようと思う方には性同一性障害の方が多いのですが、幼少の頃から悩む方も珍しくありません。

手術も20代後半からという人を多く見かけますし中には50代で手術を受けた方もいらっしゃいます。

そんなことを考えると

不確かなセクシュアリティで7年しか悩んでいない自分の決断に謎のコンプレックスを感じていました。

年齢的にも、

悩んだ期間をみても早いんじゃないか。

結局出てきた答えは

 

「私はいったい何を待っているんだろう」

 

これです。かなりざっくり(笑)。

まずあと10年待ちなさいという意見。

将来のことを考え30代40代まで待ってみなさいと思うのはおかしなことでもなく私も理解しています。

それに、カウンセリングに通うことで数年後には気持ちが落ち着くこともあり得ます。

しかし自問自答を繰り返す中で

また待つのか、

また20代もなくなるのか、

そういう気持ちが生まれました。

しかしこれは絶望ではなく 春のあたたかな山頂でため息交じりに

「いや~参ったな~、」と

木陰に腰を下ろすようなそんな感じです。

割と気楽。

自問自答の最中に気持ちが落ち込むのは危ないですから。ここで自分を甘やかして余裕を作っていたのが役立ちました。

自分は7年しか悩んでいないというコンプレックスも同じです。

もし10年以上悩んでいたなら迷うことなく決断できたのかと言われれば、多分そういうことではないと思います。

「早いんじゃないか」とずっと迷っていましたが手術を受けたい気持ちが揺らいだことはないとある時ふっと、我に返りました。

両親の意見も、私のセクシュアリティが不確かなことも間違っていないからこそ機会ばかり気にしていましたが

手術を受けたい気持ちは揺らいでいないのに私は何を待って何を期待しているのか。

自分の気持ちを見失っているのではないかとはじめて気が付きました。

ずっと考えていたのに

出てきた答えは意外と単純。

「私はいったい何を待っているんだろう」

早すぎるのでは問題が解決したわけではありませんが頭がふっと軽くなりました。

  

お次は【正当性とはなんぞや問題】

乳がんだったり病気があるわけでもないのに手術を受けていいのか。

ここでは手術を受けたい気持ちとは別に選択として正しいか間違っているのかという自問です。

結論を先に言ってしまえば

「間違っている」です。

悩み始めてから約7年。不思議なものでどうにもこの考えが覆ることはありませんでした。

先に述べた通り、私のセクシュアリティはQ(クエスチョニング)であってトランスジェンダーや性同一性障害ではありません。

体が女性、心が男性で生まれたのなら。

心の男性性に近づくため乳房切除や性別適合手術を受けることは正当性が高いと思います。

しかし

私の場合は年齢、結婚、お金、仕事、将来etc. どの観点から見ても自分の手術を受けるという選択を正当化することはできませんでした。

まさに堂々巡りの言葉通り。

考えても考えても出てくる答えは「間違っている」ばかり。

さてどうしたものか、

ここでようやく出た気づきは

「確実に間違っているけど人生を台無しにするほどではない」ということ。

開き直っているといわれればそうなのですが

私にとっては大きな発見。

自分の選択は正しいか間違いか。間違っているならどうやって正すのか。

善と悪の二択だったところから

「善よりの悪」

という全く新しい視点を得ました。

まさに物は言いようといいますか、必ずしも正しいことだけを選ばなくてはいけないわけではないと思うのです。

間違っているけど許容範囲。

この考えで周りを納得させるのは難しいと思いますが、同じように物事の正当性に悩んでいる方がいればこういう考え方もあるんだよとお伝えしたいです。

 

最後に【両親との向き合い方について】

まずは私の元々の考えを。

ここから何に気付いたのかを予想していただければと思います。

私はLGBTQ含め何事にも「理解できない人否定的な人は居ていい」という考えをもっていました。

私の両親も理解できない人に少しあたります。

当事者である自分も他の当事者の方を正しく理解できないのに、男性として女性として生きてきた人に理解してもらうのは難しい。

両親であったり自分より年上の方になればもっと。

それが理由でした。

だからこそ自分を理解してくれない人もありのままを受け止める方向に変えました。

例によって、両親にカミングアウトすることはあれど少し否定の色があったので自分に関する詳しい説明はしませんでした。

それは「理解できなくて当たり前」と自分と相手を肯定していたからです。

しかし両親は理解はなくとも心療内科を勧めたり現実的な意見を言ってくれたり自分たちの解釈で協力してくれる人達です。

 

さて、ここまで読んでみて何か気が付いた方はいるでしょうか。

私が得た気づきというのは

「自分が人を許すことと

 説明を怠ることは別であること」です。

(もし他の気づきがあったならそれも正解です。)

私の気づきがどういうことかといいますと

なぜ私が説明は必要ないと決めつけているのかということです。

もちろんLGBTQを理解できない方は居ていいのですが、私は当事者としてある程度の知識があり感覚もわかります。

情報が必要かどうかは私じゃなくてあくまで受け手が決めること。

私はそれに気づいていなかったのです。

例えるなら

算数が苦手だけど頑張りたい子どもに対して親が「そんなことより○○をしよう」と勧めるのと少し似ています。

○○の中は他の勉強でもおやつを食べることでも構いません。

大事なのは子どもの頑張りたい気持ちとは別に親の言動は善意である事です。

無意識の偏見とはこのことか、

だからこそ私も両親に対して理解したいのか確認もせずそのままでいいと決めつけていました。

人を許すことで問題ないと思い込んでいたからこそ、自分が説明を怠っていることにも気が付かなかったのでしょう。

この気づきは世紀の大発見でした。

 

 

今回の自問自答で得たのは

機会を伺うのはいいが何を待っているのか。自分を見失っていないかということ。

物事には「間違っているけど許容範囲」が存在すること。善と悪の二択ではないこと。

情報が必要かどうかは受け手の意思を尊重すべきこと。人を許す自分に酔っていたこと。

自問自答の期間は自分を甘やかすこと。

結果を書いてみれば単純な事ばかり。

だけどその単純な事が自分はできていないと気づくのがとても難しい。実際三つの気づきを得るまで2ヶ月ほどかかりました。

いや~頭が固いなぁ。

少し反省。

自問自答とは多かれ少なかれ自分の悪い面と対峙することだと書きましたが

この悪い面の本質を見つけたときや無意識の固定観念が外れたときが

 

      「人生楽しい~」

 

と思う瞬間です。

心なしか普段より自己肯定感も高いような気がします。多分。

自問自答がうまくいけば自分も少しずつ豊かになれますし結果幸せにつながると思っています。

皆さんにとっての自問自答が根詰めて苦しいだけのものでなく、楽しい瞬間になることを願っています。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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